子供を測るのは親のものさし
小学生になると子供の特性が顕著に現れ始めます。
運動が苦手だとか、文系ではなく理系だなとか。社交的だとか真面目だとか。幼児期は「発達の個人差かな」と思っていたことも、その子の特性だと感じるようになりました。
うちの子走るのが遅くて〜。
うちの子忘れ物が多くて〜。
などなど、ママ同士愚痴も交えてお喋りすることもしばしば。
こういう子供の評価は無意識ですが、他の子の比べて下しているものではないと気付きました。
平均に比べて出来る出来ないではなく、「私は出来たのに、この子は出来ない」という評価だったことに気付きました。
例えば、うちの娘は運動が出来る方ではありません。マラソン大会では後から数えた方が早く、鉄棒も逆上がりができず、縄跳びも2重飛びができません。
それに対して「なんで出来ないの? もっと頑張りなさい」と母親の私が云うかというと、言いません。
なぜなら、私の方が運動できなかったから。クラスで1、2を争う運動音痴でした。
私は大嫌いだった体育や運動会。
でも娘は体育も運動会も楽しんでいる様子。だったらそれで十分かな、と思うんです。
娘は算数好きの理系タイプ。計算は早く正確です。九九も授業だけでスラスラ言えるようになりました。
算数苦手の私は「すごいね〜」と素直に絶賛。
ちなみに私は文系タイプ。小学校にあがる前から漫画を読み始め、小学生の頃には本をたくさん読んでいましました。得意科目は国語。特に読解力や文書表現が褒められていました。
一方娘は本には興味がなく、文章を書くのが苦手です。
宿題の日記が毎回単調なのが気になって、ついつい口を出してしまう。
「あった出来事を順番に書くんじゃなくて、一番印象に残った出来事にスポットをあててくわしく書いたら?」
「楽しかった以外にもっと感想はないの?」
そんな私に対して旦那は、
「日記ってその日の出来事書くもんじゃないの? 書けてるやん」
と淡白です。そう、旦那は理系の人。
娘にもっと表現力を付けて欲しいと願っているのですが、国語のテストも通知表も問題なくむしろ良く出来ているレベルだったりします。
単に自分が当たり前に出来ていたことが出来ない子が歯がゆい、というだけの話なんですよね。
私と長女は何かにつけて真逆(性格や得意分野)なので、教えても思うように行かずイライラします。
なんとなく雰囲気で突っ走るタイプの私は、たぶん教え方も適当です。
始めて国語辞典を引く長女に、
「あいうえお順になってるから探してみて」
と言ったら全く分かって貰えませんでした。(見兼ねた旦那が懇切丁寧にページをめくりながら説明してた)
長女は説明を受けて納得しなければ動かないタイプ。とりあえずやってみる、自分で試行錯誤しながらやり方を覚えるという気配がないんです。
「なんで自分でやろうとしないの?」と叱ると長女は泣き出し、我が家は良く修羅場になります。
ちなみに次女は私と同タイプ。1を聞いて10を知る(知った気になる)タイプです。勝手にやる分失敗も多いですが、私的にはとても楽。
「こんな感じでやってみて」でOKなんです。
早熟だけど何かにつけて適当(私もね)。まだ幼稚園児だけど飽き性で気分屋です。怒っても右から左。私も身に覚えがある、非常に気持ちはわかる(笑)。
自分が出来なかったことを子供に託してしまう気持ちも勿論あるけど、
子供には自分と同等以上を求めてしまうんだと気付きました。
だから自分の得意分野を子供に教えるとイライラしてしまう。
じゃあ自分の不得意なことを子供と一緒にやったらどうだろう?
子供と一緒に始めた家でのそろばん。長女と私で見取り算の実力に大差ありません(笑)。学校で授業のある娘にコツを教えて貰うこともしばしば。
私「この問題、手の動き難しいよね?」
娘「そうでもないよー。もう馴れた」
なんて会話も対等。
怒ることも泣かすこともなく、平穏に学習が進みました。
親が苦手で、尚且つ子供が得意なことがあったら一緒に始めるチャンスかもしれません。
(但し親子ともに苦手なことに手を出すと大変です。次女のソロバンが今この状態……)
あと子供本人に「これ苦手だね」って言わない方が良いですね。
長女は算数が得意、国語は苦手と思い込んで、国語には自信がない様子です。テストはほぼ満点なのに。。
自分のモノサシで子供を測っていることを自覚して、言葉に気をつけないと…反省しました。